2008年7月12日土曜日

テリトリー

人は何故、他人を認めることが出来ないのか?
認めようと努力しないのか?
何故だろう?

最近つくづく思うことがある。
誰もが自分が正しいと思い、自分と違う色を持っている人間を間違いと言う。
ただ、それがいけないという訳ではないのだ。
自分が正しいという信念がないと、自身というものが形成されない。
だから、逆にそう思うことはとても大切なことである。
しかし、ほとんどの人間が自分の色が正しいからといって他人までその色に染めようとする。
そして、染まる人間は自分の仲間、染まらない人間は敵と捉える。
それは本当に正しいのだろうか?

最近読んだ本の内容もそのことで悩んでいた。
「本人は人と同じことをするのが嫌だ」という信念の元生活をしていた。
大きな流れは他の人と変わらない道を歩んできた。
しかし、その中のちょっとしたことが他人と違ってただけで、周りの人全てから「おかしい、近づくな」といった感情を持たれ出した。
本人は何も間違ったことをしていないのに・・・。
自分の人生を、自分だけの生き方で過ごしているだけなのに・・・ 何故?
その本人も悩んでいた。
自らを殺し、周りと同じことをしていればこんな風にはならなかったのだろうか?
しかし、何故自らを殺さなければいけないのか?
その狭間で苦しみ、もがいていた。

本当に正しいものがなんなのか?

何が間違っているのか?

何も間違っていない。

全てが正しいのだ。

「十人十色」という言葉があるように、十人いれば十通りの色がある。
それでいいではないか。
無理に同じ色に染めることはない。
それぞれの色があるから美しいのだ。
それぞれの色を認めることで、自らの色も引き立つ。
別の色を自らの色に染めてしまうことで、自らは際立たなくなる。

何が正解で、何が間違いということはない。
全ての色を認める努力をし、全てを認めることが必要なのだ。
自らの色をしっかりと持ち、別の色を認めることで新たな色が生まれることがある。
そうすることで、別の色同士が共存することが出来、お互いの成長を促すことが出来るのではないだろうか?

しかし、現状ではほとんど認める努力も出来ていない。
自分の見解で話し、相手がどういう考えなのかも確かめず決め付けてしまう。
それが、仲間なのか敵なのかまで・・・。
そして、色を挿すに留まらず自らの色に染めようとする。
これは、仕方のないことかもしれない。
今までの年輩者が作ってきたレールに乗り、決められた枠の中で生きていくのは間違いない。
世間の正誤はそんな簡単には変わらないのだから。

しかし、自分でどのレールを歩んでいこうか?
はたまた、新しいレールを自らが作っていこうか?
小さな枠の中で生きていこうか、大きな枠の中で生きていこうか?

悩み、決断するものもいるのだ。
実際、決められたレール、枠から抜け出せていないこともあるが・・・。
そういった人間もいることを認めなければいけない。

2008年6月27日金曜日

お金 + 暇 = 身体 - 若さ

最近、深イイ話を聞いた。
タイトルにもなっている方程式である。

人間は誰しもお金が欲しい、暇が欲しいと願うだろう。
しかし、実際に得てしまうとどうなるのだろう。
今回聞いた話では、「お金と暇を得た身体は若さを失ってしまう。」というものだった。
これらを得た時に失うものは1つや2つではないだろう。
その中でも若さというものを天秤にかけて表現している。
ここでの若さとは肉体的な若さもあるが、精神的な若さの意味も含めている。

これを聞いた時、共感を得る部分があった。
実際に、お金と暇の両方を手に入れたことがないから全てに共感するということは出来なかったが、暇は手にしたことがある。
忙しい中での長期休暇、もっと大きな暇を挙げれば大学時代の4年間である。
人間は無いもの強請りで暇が欲しいと願うが、実際に得てしまうとそれ程良い気はしなかった。
何をするでもなく、ボーっと過ごし無駄な時間を過ごすことが多かった。
そんな生活が続く中、自分の中の何かが崩れ去る感覚があった。
それが、若さという言葉に共感を覚えたのだ。

暇を手に入れるだけでそれだけのことを感じるのだ。
これにお金も手に入れてしまうと・・・
結果は大体予想が付くだろう。

しかし、手に入れたとしてもこの方程式が当てはまらないこともある。
それは、常に上を目指している人である。
十分なお金を手に入れても、まだまだと思っている人は若さを失うことは無く今まで通りだろうし、暇があっても忙しく過ごす人も同様である。
自分が十分だと思ってしまった時点で人は衰えだす。
この方程式は、自分が満足しているというカテゴリーの中でしか成立しないのだ。

今の自分は、まだまだこの方程式と比べるところまで達していないが、もし達したとしてもいつまでも満足はせず上を求めて若く在りたいと思う。

(お金 + 暇) × 向上心 = 若い身体  の方程式になるように・・・。

2008年6月23日月曜日

思考<行動

人はいつからか、理由を求め、意味を求め、結果を求めてきた。
全てを求めて来たのだ。
自分の求めるものを効率よく手に入れる為に、人は考えることを始めた。
いらないものを省く為に・・・。

人間の生理的行動、生きる、食う、寝るというものに考えることが必要だろうか?
頭で考えなくても、体が欲し、その欲求に答える行動をとる。
頭で考えなくても体が知っているのだ。

人間は、無駄を省くために考える。
体の欲求を押さえ込んでまで頭で考え実行する。
本当にそれは無駄なのだろうか?
無駄に思えるかも知れないが、実はとても重要な事なのかもしれない。
省くことが正解なのか。
人は体でも考えることが出来る。
その答えは、何の不純物も含まない純粋な答えなのだ。

今のこの世界、頭で考えることが渦巻いている。
考えなければ生き難い世界になってしまっているのだ。
だから、頭で考えることは仕方がないだろう。
しかし、煮詰まってしまった時や、答えが見つからない時、そういう時は思い切って行動を起こしてみる。
そうすると、頭では考えも及ばなかった答えが、体が一番欲していた答えが見つかるだろう。


理由、意味、結果というものは後でも考えられるのだから。

2008年6月18日水曜日

自らを魅了する

先日舞台を見る機会があった。
巷で噂の早乙女太一の舞台だ。

ある時期をきっかけに、いろんなものに興味を持とうと思い、最初に行動に移したのが今回だった。
最初ということもあり、何か自分に変化をもたらしてくれるだろうという期待と、もしかしたら何も感じないのではないかという不安を半々に持ち会場に向かった。
何をするのかも知らない。
実際あまり興味もなかった。

しかし、始まってみるとそこは今までと違う空気に包まれた。
会場中の客が舞台に魅せられているのだ。
芝居にのめり込んでいるのだ。
一言一句のがさまいと聞き入っているのだ。
中には、魅了され芝居の脚本に涙する人も出るほどだった。

自分よりも若い早乙女太一には何があるのか?
そして、自分には何が足りないのか?
答えを導き出すのにそれほど時間は掛からなかった。
簡単なことである。
人を引き付ける魅力があるかないかなのだ。


プロだから引き付ける魅力があるのかもしれない。
引き付ける魅力があったからプロになったのかもしれない。


今の自分には、自らを引き付ける魅力さえない。
人を引き付けるとまではいかなくてもいい。
最低でも自らを自らに引き付け、自分に自信を持てるようになりたい。

自分の魅力は何なのか?
見つかるまで時間が掛かるかもしれないが、探してみようと思う。

他人から得られることは、予想以上に多く、そして大きなものである。
今後も機会があれば、いろいろなことに挑戦してみよう。

2008年6月16日月曜日

行動を起こす時の天秤

叔父さんと話すことは好きだ。

いきなり何を言っているのだと思うが、たまに、ある叔父さんと話す機会がある。
周りの皆は、「説教じみてて嫌だ」などといったことを理由に嫌がっているが、自分はそういった話が好きなのである。

今回の話の内容は「継続」についてだった。
継続するということが大切なのは、誰もが小さい頃から教えられ知っている。
まぁ、叔父さんの話も根本は同じことを言っているのだが違う観点からの見方を話してくれる。

分かりきっていることをストレートに教えられても、誰もが「そんなこと知ってるよ」という気持ちで話を聞くだろう。
しかし、少し違う観点から教えられることで、分かりきっていることであってももう一度考え直すという行動を起こすのだ。


今回の「継続」についての話は、ただ続けることが大切ということだけではなかった。
続けることはどんなことに関しても大切である。
それは、自分にとってマイナスをもたらすものであってもだ。
自分が嫌だと思っていることであっても、継続することでそこだけでしか得られないものを得ることが出来る。
しかし、そうやって得られたものは自分にとってプラスに作用するかどうかは分からない。
マイナス面だけで終わってしまうことかもしれない。
しかし、継続することによって何か得られることは絶対なのである。
また、ただ継続し続けることが大切という訳ではなく、マイナス面を避け、新しいことに挑戦することもそれはそれで大切なのだ。
早い段階で新しいことに挑戦し、それを継続し続けることでそこでも何かを得ることが出来るだろう。

何が正しくて、何が間違いということはない。

全て、正しいのだ。
どんなことであっても継続によって得られるものはある。
今のまま続けて得るものか、別のもので得るものか、どちらが大切で自分の為になるものかを行動を起こす前にしっかりと考え、天秤にかけ選択する必要がある。


といった内容の話だった。
今、自分は選択を迫られる状況に立たされている。
例え、苦しく険しい道に入ろうと、全てが正しかったと思える選択をするために、目先だけにとらわれず天秤に掛けて行きたい。

2008年6月13日金曜日

体はアツく、頭はクールに

最近、ブログを始めたこともあり、自分と向き合う時間が増えてきた。
自分と向き合うとどうだろう?
良いとこや悪いところが露わにされる。
それだけなら良いのだが・・・。


それ以外にも、自分のやりたいこと、今の状況について、人生に満足しているのか、どこに向かって行きたいのかといったことまで見えてくる。
見えてくるといっても、具体的なものは何一つとして見えない。
今までの状況では考えなくてもよかった部分が、表面化し、考えなくてはならなくなるのだ。

実際にいろいろと考えてみた。
しかし、何一つとしてしっくりとはこないのだ。
逆にどんどんと深みに嵌り、悩むというサイクルから抜け出せなくなってしまっている。


そうしている内に、頭がアツく燃え上がる。
しかし、体は行動に移せない。
その葛藤の中で、頭の中を整理することは出来ず、どんどんと頭でっかちになっていく。
考えれば考える程、自分の体を縛り付ける鎖は締まってくる。
頭が重くなった体は、歩くことも、這うことも出来ず立ち止まってしまう。


何も考えず、行動を起こしたい。
どれだけ動きやすいことだろう。
どれだけのことを行え、どれだけの影響を自分に与えることが出来るだろう。
動けずに考えるだけより、巨大なものを得ることが出来るだろう。


そうやって考えている自分は、また深みに嵌っていく・・・

2008年6月10日火曜日

共存するとはどういうことか

人にはそれぞれ個性というものがある。
共存するに当たっても個性を失ってはいけない。
他人に流され、他人の思うまま動いているだけでは何も出来はしない。
どんな場面でも自分をしっかり持ち、個の色を出すことが大事なのだ。


しかし、個性という言葉を履き違えていた。
自分の思うように何事も貫き通すことが個性ではないのだ。
それは、個性ではなく自己中心的な行動なのだ。
そういう行動が続けば、個性を生かすどころではなく孤独へと向かっていってしまう。
「これも個性を大事にしてきた結果だから仕方がない」と虚勢を張ってみても、孤独の世界では個性なんか無意味なのである。

では、本当の個性とはなんなのか?


それは、共存の世界に存在する。


人と共存し生きているからこそ、人と違う個性が見えてくる。
他人と接し、生きるからこそ個性を生かすことが出来るのだ。
しかし、今の自分はどうだろう?
どれもこれも共感を得ることが出来なかったら、それは個性だからと言いくるめてしまう。
それは、只逃げているだけなのに・・・。

本当の個性は、他人からも共感を得ることが出来るだろう。

先にも述べたが、個性とは共存の生活の中で初めて生きてくる。
それらを全ての人間が理解をすると、一人一人が個性というものを認めて行くのではないだろうか。
そして、多種多様な個性をお互いに認め合うことで、共存ということが初めて出来てくるだろう。


大切なのは、まずは誰でも個性を持つこと、失わないこと。
次に、その個性は自分自身の為だけではないということを知る。
(自分が自分がという個性は、本当の意味の個性ではないということ)
最後に、個性は共存の中でしか生きないということを理解する。
(他人を個性ごと認めることで共存ということが成り立つ。それは、表面上だけでなくその人全てを認めることで・・・。どちらか片方だけでも成り立たない。お互いに・・・、全世界の全ての国民同士が認め合うことで。)

2008年6月6日金曜日

Mind Map

最近よく聞く言葉だろう。
これは、「自分の頭の中、やりたいこと、やらなければいけないこと、一日の流れ・・・」   などいろいろなことを整理するのに適している。

ある企業では、毎日、一日の始めにこの「Mind Map」の作成が義務付けられているらしい。
とてもめんどくさいし、時間の無駄に感じられる。
しかし、作成することで頭の中、自分の一日の行動が整理され、無駄な時間が減り残業がなくなったらしい。


自分も一度作ってみた。
これがなんとも難しい。
ある程度の作成は出来るのだが中々広がっていかない。
しかし、難しいがその中から得られるものはとても大きかった。
いつも頭が痛いと言うほど悩んでいるように思ったが、自分の頭の中にはこんなちっぽけなものしか入っていなかったのかと痛感させられた。
実際に考えられたのが、「サッカー」と「仕事」に関してだけだったのだ。
それだけのことに悩み、それだけのことで苦しんで来たのかと思うとなんだかバカらしくなり、逆に吹っ切れたような気もした。


普段自分と向き合う時間を取っているようで取れていない。
今回のことでつくづく感じさせられた。
毎日とは言わないが、月に一回でも「Mind Map」を作成することで、自分というものをもっとよく知り、今まで以上に上手く付き合っていけるのではないかと思う。

思うだけは誰でも出来る。
誰でも出来るが、思うだけでは何も変わらない。
しっかりと実行し、人生によりよい変化を加えて行こう。

2008年6月5日木曜日

ショックの記録

人間落ちている時はダメなもので・・・。
不運は続く・・・。


昨日の夜から降り続けた雨の中、相棒にまたがり仕事に向かう。

ちょっとゆっくりしたせいかあせる羽目に・・・。

到着・・・ ・・・目と鼻の先でスリップ・・・  ・・・転倒・・・  ・・・5m程ヘッドスライディング。
ボードもなしに波乗りしてしまった。

時間はというと・・・     。

笑い事では済まされない。

ケガこそ軽い擦り傷と軽い打撲(一部強打)で済まされたが、心と相棒の傷は重症。


    「
         心の傷・・・超強打により、ハートブレイク寸前。

         相棒の傷・・・総被害額:15万円相当
         (走れるようにする為に必要な額:3万円相当   
                                          」

色んな意味で泣きそうになった。

今日という一日を心に刻み付けた。

2008年6月2日月曜日

Goodサイクル or Badサイクル

「今の生活のサイクルは本当に自分にとって良いサイクルなのか?」

最近、こんなことを良く考えるようになった。
正しいものを見つけることは難しい。
本当に正しいものなんてあるのだろうか?
もしかして、今のサイクルが正しくて、ある根拠を基に正しくないのではないかと思ったこの根拠の基が、そもそも間違いだったのではないか?
考え出したら、正しいか正しくないかなんて余計分からなくなってくる。

正直、この世界に正しいものっていうのは、何一つないのではないか・・・。
何人もの人間が生き、何種類もの考え方があるこの世界に正しいと証明出来るものが、一つでもあるだろうか?
いや、あるはずなんてない。
世界中の人間がそろって正しいと言えることは何一つないだろう。

正しいか正しくないかなんて、自分が正しいと思うか思わないかだけなのだ。
だからこそ、何通りもの正しいがあり、また、正しいことはたった一つしかないのだ。

今のサイクルで過ごすことで得られる結果に、自分は満足することが出来ていない。
逆にストレスさえ感じるぐらいである。
これを乗り越えることで、世間一般での正しい結果が得られるかもしれない。
しかし、今しかない自分が今しかない時間の使い方を違う形で求めたいと要求している。
だから、これはBadサイクルなのだ。
変えなければいけない。
たとえサイクルを変えることで、今より悪い結果が訪れようと・・・。
動き出さなければ、その悪い結果があることさえ分からない。

          「 行動を起こそうと思う。
            どんな困難が待ち受けようと。
            行動を起こそうと思う。
            良い結果があると信じて。
            行動を起こそうと思う。
            未来の自分が待つ場所へ向かって  」

2008年5月31日土曜日

休日の過ごし方

ふと思い返せば休みの日は何を過ごして来たのだろう。
今までは、休みと言えばサッカーを行ってきたし、空いている時間といっても無駄なことばかりしてきたように思う。

最近、何もない休日は何をして過ごせばいいのかと考えるようになった。

一日中寝て過ごせばいいのか?
フラッと目的もなくどこかに出かければいいのか?
はたまた買い物か?
趣味に没頭するのか?
それとも勉強か?

いろいろと考えてみた。
考えても考えても具体的な休日の過ごし方は見つからない。
出てきた答えは、「自分がその時間の使い方に満足出来たなら、それが一番良い休日の過ごし方なのではないか」ということである。

実際そうなのだが、なかなかそれが難しい。
やってみる前はこれこそがそうだと思ってみても実際終わってみると違うかったということは多い。
本当に答えは見つかるのだろうか?
これを 永遠のテーマ にして今後過ごして行こうと思う。

2008年5月22日木曜日

悩む者は成功しない

突然の来訪である。

準備も何も出来ていなかったため、切り替えに時間がかかる。

こいつに包まれてしまうと体からは力が抜け、殻に閉じこもってしまう。

そう、悩み事の到来である。


     「悩む者は視野を狭める。
      悩む者は気力を失う。
      悩む者は周りの人間と上手く接することが出来ない。
      悩む者は・・・                        」

言い出せばキリがない。
何故このような考えを持ち、何事も上手く行かないようになるのか?
それは、悩むという行動自体がネガティブだからだ。

ネガティブな行動は、ネガティブな結果しか生まない。
ではこんな時、どうすればいいのか?

その答えは、 「悩む前に行動しろ」 だ。
今起こった現状が、自分にとってマイナスな結果ではなく、自分が変わるためのきっかけなのだというプラスの考えを持ち、行動を起こすのだ。
そうすれば、ただうじうじと悩むだけでは絶対に得られない結果を得ることが出来るだろう。

これは、考え方として間違っているかもしれない。
しかし、自分はこんな考えを持ち、この闇から抜け出したいと思う・・・。

2008年5月20日火曜日

経験値を貯める

昔では考えられないが、最近本を読むということが板についてきた。
暇な時間があれば本が読みたくなり、結構なハイペースで読破本が積み重ねられていく。

その中で一つの本は自分に大きな影響を与えてきた。

その本の中に書かれていたことである。
      
「自分にとって一番合っている物を探すには、多くの物(こと)を経験し、その中から選ぶ必要がある。」

これは誰にでも影響を及ぼす言葉ではないだろうか?
自分にはこれが出来る。
だからこそこれが自分には一番合っているのだ。

      ・・・本当にそうだろうか?

今まで自分が経験してきた中ではそれが一番合っているだろう。
しかし、自分が経験してきたことはそれほど広範囲のことだったのだろうか?

いや、まだまだ何も経験していないし、それが合っていると思い込みその方向でしか経験値を増やそうとしなかった。
だったら他にも自分に合ったことが見つかるかもしれない。
もしかしたらそっちの方が今よりもっと自分に合っているかもしれない。

ほとんどの人がこういう状態だろう。
自分も例外なくこういう状態である。

経験を積むということはとても大事である。
現状で全く無意味な事と思っても、経験し自分の実力として身に着けておくことでいつか必ずプラスに作用する。
経験とは、自分に合ったものを探すためだけでなく、自分の実力を向上させていくにも必要なものだ。


         「思い立ったら吉日、それ以外は全て凶日」

ということで、本日より経験を積むために行動を起こしてみた。
この行動が自分にとってプラスとなることを願って!!

2008年5月19日月曜日

学ぶことはまだまだ多い

本日は、自分が住んでいる地域の清掃活動があった。
そういえば、昔、自分が中学生ぐらいまではこういった活動に参加していたな。
ゴミ拾いをしたり、粗大ゴミの仕分け等の手伝いをしたり・・・。
今では  「一生この場に住むわけでもないから別にいいか」  という気持ちであまり地域活動を深く考えていなかった。
しかし、今日はまぁ忙しいわけでもないのでたまには参加してみるかという軽い気持ちで参加してみた。
本日の作業は地域一斉清掃。
参加者数、大人子供含め50人程度。
時間は約2時間程。
各々班に別れ担当区域を掃除するというものだった。

我らが4班の担当は裏手の草むしり。
それほど難しい仕事ではない。


今まで近所付き合いというものをあまり深く考えたことはなかった。
しかし、今日の清掃で今まで話したことも、会った事さえなかった方と話す機会があった。
少しではあるが近所の輪を広げることが出来た。
また、参加することで喜んでくれる方もいた。

近所付き合いなんてと考える人が多いと思う。
実際に今まで自分もその中の一人だった。

しかし、人と触れ合うことが出来、自分ではそんな些細な事と思っていることで喜んでくれる人がいる。
これがなんとも歯がゆく嬉しい。
今は本当にたったこれだけの事かも知れないが、これが将来的にとても大きなことへと繋がる。
今日はそう思うことが出来た。


まだまだ若輩者で人生アマちゃんである。
もっともっといろいろなことを体験し、学ぶことが大切だ!!

2008年5月17日土曜日

時は意外と転がっている

Time is money. (時は金なり)
という言葉に代表されるように時間というものはとても大切なものである。
しかし、その時間が自分には全くない。


と今までは思っていた。
「実際には時間がない」のではなく、「時間をなくしている」のである。
もっと簡単に言うと、時間は十分にあるのにただそれを無駄遣いしているだけだということである。

今までは、趣味をする時間も、新しいことをする時間も、ゆっくりする時間さえ自分には全くないと感じていた。
しかし、今までの生活を振り返ってみると、朝無駄に寝すぎる、何をするわけでもなくボーっとテレビを見る、パソコンを触る、朝寝すぎるので夜型の生活になり、自分のやりたいことが全く出来ない。
といった生活を送っていた。
しかも、これを他人のせいにしていた。
自分はやっているのにと・・・。

どこがやっているのだろうか。
思い返してみると全くの無駄ばかりである。

そこで、少しでも有意義に時間を使えるようにまずは規則正しい生活リズムを身に付けることから行うことにした。
朝7時頃に起き、朝食を取って仕事。
それだけかと思うが、この2つが及ぼす影響は果てしなく大きかった。

まず、朝7時に起きることで今まで寝ることで浪費していた午前中の貴重な時間を有意義に過ごすことが出来た。
次に、朝7時に起きることで朝食をとる時間が出来、一日の生活が活性化した。
最後に、朝7時に起きることで夜も12時頃には眠くなり体にとってとても良い生活リズムを作れるようになった。

たったこれらのことで自分の生活は激変した。
もっともっと自分の生活の中には今回のようなケースが多く眠っていると思う。
それらの無駄を省き、生活を激変させていこうと思う。

全ての事象の答えは、
             「全て自分の中に眠っている」

2008年5月16日金曜日

大人に成長すること

齢、25歳。

もう立派な大人だ!

と思っていたがそれは見掛けだけだった。
中身は全く成長していなかった。


最近2冊の本を読んだのだけど、その中にこう書かれていた。

「歳をいくらとっても求め続けるものは子供だ」

これを読んだときすごい共感を持つことが出来た。
人間には欲があり、これを捨て去ることは例え仙人であっても無理なことである。
言い換えれば人間は求め続けなければ生きていけない生き物なのである。
そして、その欲求は留まる事を知らず、あれもこれも全部自分の物にしたいといった形で膨張していく。

この本が言うには、求めることがいけないのではない。
どんなに頑張っても求めることを辞めることは無理に等しい。
辞めるのではなく減らすのだ。
多く求め過ぎるところを自制していくのだという事を言っていた。

改めて考えてみると本当にその通りだと思う。
何事も不自由に思うのは自分が高い位置にあるものを求めているから今の状況が不自由に感じる。
今の状況でも満足ではないか。

別に住む家がないわけでもない。

別に食べるものがないわけでもない。

本当に十分足りているのだ。
この本にはとても感銘を受けた。
自分もこんな考え方が少しでも出来たらと思い、足りないながら実行に移してみた。
するとどうだろう。
普段些細なことで感じるストレスが消えていくではないか。
しかも今ある時間、今しかない時間を有意義に使い楽しむ事が出来るではないか。

この本にはこうも書かれていた。

「求めることを辞めると今まで見えなかったことが自ずと見えてくる」

本当にその通りである。
新しい世界観を持つことが出来た。
これはとても素晴らしいことだ。

そして、これが今だけの感情に終わらないように続けて行こうと思う。

       本当の大人への階段を登る為に・・・

2008年5月15日木曜日

続けるとは言ったものの・・・

「継続は力なり!!」

まさにその通り・・・       なんだけど続けれない自分がいる。
続けることはとても難しいこと。
だが、最初は頑張って続けることで、それは習慣に変わり、自分の力へと変わっていく。

頭では分かっているのだが行動できない弱い自分。

そんなままではダメだと思い始めた自分。

今までも同じことを考えていたなと思う自分。

このままではいつもの悪循環に嵌ってしまうと思う自分。

というかこう考えているだけでもうすでに悪循環なんですけどね(汗)

今回、「夢を叶える象」という本を読み自分の変え方についてとても共感し、勉強することが出来た。
これをいい機会に心底自分を変えてみようか・・・。

そう考えながら今日も一日が終わっていく・・・。

         ・・・いやいや改めて今日から変わるぞ!!
そのために小さなことからコツコツと。
まずはブログの継続的更新かな(笑)

2008年5月2日金曜日

習慣化された行動

習慣には2種類ある。
良い習慣と悪い週間である。

「良い習慣」は、ちょっとやそっとでは習慣化されにくく、しかし、習慣化されると一生続けて行く事も出来るし、自分に好影響をもたらしてくれる。

「悪い習慣」は、簡単に習慣化されてしまい、途中でこの習慣化された行動を辞めたいと思うことがある。
しかし、その習慣からは、なかなか抜け出すことが出来ず、行っては来ての繰り返しになることが多い。


自分にも後者の習慣がある。
本当に辞めたいと思う。

・・・しかし、なかなか辞められないもので・・・。

悪い習慣を辞めるためには、本当に強い意志と努力が必要である。
今の自分にはそこの部分が足りていない。

今は、自分を変えるためにも本当に良い機会である。
この機を逃さずに、習慣を良い方に持っていけるように頑張ろうと思う!!

2008年4月30日水曜日

意外と神経質?

今日は・・・           ・・・お腹が痛い(泣 泣)

やるべきことが一段落つき、終わって次の日からこの調子。
俺って神経細いのかなぁ。

昔っから、やるべき日の前日までバリバリの元気さを振りまいて、当日も持ち前の本番に強い性格で乗り切りやっと終わったぁと思ったら40℃近い熱を出してうなされて・・・。


今回は熱がないにしてもお腹が痛い。
腸が痛い。     胃が痛い。

ダメだこりゃ!!

のほほんと過ごしているようで意外と気を遣ってるみたいです・・自分・・・。


まぁ、ここ数日空気のような存在になり、ゆっくり休もうっと。
もっと自分に気を遣ってあげないとね。

2008年4月26日土曜日

甦れ学生パワー

今日は、理由あって牧野植物園に行ってきた。
まぁ、牧野植物園ていっても高知在住の方か、高知に以前住んでた方にしか分からないと思うけど・・・。

本日の牧野は快晴ということもあり大混雑!
学生の遠足??と重なって大混雑!!
結婚を控え幸せそうな新郎・新婦3組の前撮りと重なって大混雑!!!

まぁ、どの人も幸せそうだったので大満足。(笑)

そう、何が言いたいかというとこの登場人物とシチュエーションとタイトル。
考えられるパターンはたった一つ。

うじゃうじゃいる学生の中に新郎・新婦がウェディングドレスとタキシードで乗り込めばこれは必然。
アヒルの子供達の中に白鳥の子供を入れたような・・・

・・・いじめられてはなかったけどね。

そう、異種のオーラを放ちながらその中でも際立って美しいものを秘めている。
こう表現をしたら皆わかるかな?

皆さんも経験があると思うが、そんな場面をあの好奇心の塊ともいえる学生が見たら無視なんてことは出来ないよね。

今日の学生も何の迷いもなくするべく行動をとっていた。
新郎・新婦に話しかける者。
仲間内で話しているのだけど、新郎・新婦に聞こえるぐらいの大きな声の者。
仲間に新郎・新婦に向かって何かやれとおだてられる者。
新郎・新婦を尾行して行く者。

見ていてかなり微笑ましい。
これぞまさしく学生パワー!!
この何者も恐れない好奇心と行動力。
これはまわりをも巻き込み温かな雰囲気をかもし出してくれている。
自分達にもこのような時代があった。
しかし、大人になるにつれて周りの目が気になり、自分への評価が気になり内へと篭り出した。

最近の大人は、子供に対してとやかく悪くいうが、子供の方が本当に素直に生き、人生を最高に楽しみ、時には苦しい思いを体全体で受け止めているのだ。
これは、世間の大人にも、自分にも出来ない生き方だ。
いや、皆そういう生き方をしてきていたのだ。
私は今回の出来事で、本当に正しい生き方をしているのは、間違っていると正されてしまっている今の子供達の方ではないのだろうか?ということを感じた。

少しでも失われてしまった自分と自分の正しい生き方というものを、もう一度深く考え直し再び出来るようにして行こうと思う。


今日出会った全ての人へ伝えたい。

                   「ありがとう」という言葉を。

2008年4月24日木曜日

日頃の行いは報われる

「自分の思い通りに事が運んだのは日頃の行いがいいからだ!!」


とよく耳にするけれど、今まであまり気にしてこのことを考えたことはない。
事が運んだのは運だし、自分の実力でもある。
そんなことが日頃の行いと関係があるものなのか?と疑問に思う。


しかし、今回はこの言葉を信じたくなる出来事があった。
それは、自分の実力ではどうにもならないことである。

何かというと、それは天気だ。
大切な日が訪れるのだけど、晴れなければ台無しである。
して、大事な日の前日を予報で見る。

・・・雨・・・70%・・・。

これは、当日もダメだなぁと思う自分。
だが、実際のところ、当日晴れ!!
しかも、降水確率0%。
これは、「日頃の行いがいいから万事上手くいく」という言葉を信じたくなる。
まぁ、運がよかったと言えばそれだけなんだけどね。

というお話なんだけどね・・・。

2008年4月23日水曜日

ストレスランクは一つ星

継続するといった矢先に一週間のブランク・・・。
意志が弱いなぁとつくづく思う。

気を取り直して本日より開始。


何かに追われるということは多大なストレスを感じる。
昨日見たテレビで鬼ごっこをし、1時間逃げ切ったら200万円という企画を行っていた。
ただ、仕事ややらなければいけないことの期限に追われるだけで倒れそうなぐらいのストレスを自分は感じる。
それが、人に追いかけられ、捕まらないように時には隠れ、時にはダッシュし逃げ切らなければいけない。
これは、心身ともに疲れ果ててしまうことだと思う。
まぁ、テレビの中の人たちは、逃げ切ったら賞金がもらえて、捕まってもそれで終わり。
疲れるだろうが、限界な程はストレスを感じることはない。


しかし、最近読んだ小説「リアル鬼ごっこ」では、それだけでは済まされない。
     ~~~  以下ネタバレ (見てない方は読まないように) ~~~














1時間の鬼ごっこを行うのは変わらないのだけれど、それが1週間も続く。
しかも、逃げ切れたら何でも希を叶えてくれると賞金よりもランクが上だからいいけど、捕まったら最後、殺されてしまうというものである。
しかも、追いかけられるのは佐藤さんだけ。
周りの他の性の人はのんびりと自分達を見ている。
この時にかかるストレスはどれくらいのものだろう。

仕事に追われるぐらいでダルいと思うのに、生きるか死ぬかがかかっていれば、これは発狂ものではないだろうか。


ということで、そんな鬼ごっこが起こる確率が限りなく少ない今の時代に生まれたことに感謝し、これぐらいのストレスならということで乗り越えて行くぞ!!

2008年4月16日水曜日

自分の性格

この体と付き合い始めて早24年。
いい部分も悪い部分もいろいろと感じてきた。

性格の部分で良いと思ったことはあっても嫌だと思ったことは一度もない。
しかし、今回初めてこんなところでその思いを持つとは・・・。

自分の性格の特徴を挙げると、一言で言って能天気!!
これは、自分にとっても周りにとっても非常に楽な性格である。


なぜかというと、「基本的に何も考えていない」・・・。


と、これだけを聞くとただのバカみたいに思うけどそういう意味ではない。
物事に対しては色々と考えることがあるのだけれど、いつでもどんな状況でも

「まぁなんとかなるさ」

といった感じにあまり難しく物事を考えない。
これは、本当に楽だ。
まさしく能天気の特権である。
自分と違う性格の人が、この「なんとかなるさ」という言葉を聞くと「なんとかなるって具体的に??何をしてなんとかなるの??」といった疑問を持つ。

ここが他の人と根本的に違う。
単にアホみたいになんとかなるさと言っているわけではなく、何とかしなければいけない時になると想像以上の力を発揮し、本当に何とかしてしまうのが自分である。
何もしないで環境が変わっていくのを待っているのではなく、自分の力を最大限に発揮できる時期を待っているのだ。
その時まで、無駄に体力を浪費せず、無意味なストレスを溜めることなくのほほんと過ごしているのだ。


今まではそれで良かったと思っていた。
いや、思うことが出来ていた。

しかし、今回はやらなければいけないことが多すぎる。
しかも期限がすごく近くまで迫ってきている。
それに比べ体力の残量が残り少なくなっている。
体力を充電する為の時間もなさすぎる。

マメな人からしたら「やっぱりそうなるだろうな」と言われると思うが、ごもっとも。(汗)
本当にコツコツと頑張っていたら今頃もう少し楽な思いが出来ているのだろうなとひしひし感じる。

今回ほど自分の性格が間抜けと思ったことはない。
まぁそれでも何とかしてしまうのが自分なんだけどね。(笑)

よし、ここに来る事で少し充電出来たから続きを頑張るかな。
体力の続く限り、全力疾走でやり遂げるぞ!!

自分の性格をもう一度好きになれるように。

2008年4月15日火曜日

他人(ヒト)のフリして我がフリなおせ

諺に 「ひとのフリ見て我がフリなおせ」 というものがある。
この諺、まさにその通りだと思う。
他人のやっていることを見て、自分が嫌だと感じたことを自分はやらないように正していく。
これは当たり前のことを言っているようでとてもいい諺である。
自分の姿は見えないが、他人に映して見ることは出来る。

昔の人はいい言葉を使ったものだ。

名言は最初に言った人のものである。
だから先に生まれた方が得だ!!

と思うが、自分がその時代に生まれていても同じことを言えたかどうかは分らない。
だからこそ、改めて昔の人はすごいなぁと思う。


そこで、今日は一つ名言を語って見る。(先に誰か使ってたらすみません)



「他人(ひと)のフリして我がフリなおせ」
うーん、まさしく名言。
これは、近代にならないと生まれない言葉である。
まぁ、内容はひとそれぞれのインスピレーションに任せるが、自分は実体験を元にこう思う。
「 近代、インターネットが普及しその中にBBSやブログなどコメントを残せるものが出てきた。
 そして、ただ残すだけでなく、意見の交換も行うことが出来てきた。
 その中で、直接自分のことではないが、自分に関してのコメントが出た。
 そのコメントを読んだ自分は、本人で登場し意見交換をすると、相手ももっと興奮し、上手く話をする  ことが出来ないと思い、コメントをした人と同じ、一一般人として意見を書いた。
 そうするとどうだろう。
 インターネット上の自分は、いろんな人になりきり、その人の視点で物事を考え、普段ではなかなか思 い浮かぶことのない思いまで感じることが出来た。
 そして、その思いの中で実際の自分がなんらかの変化を起こすことで、このコメントの内容に影響を与えることが出来ると感じた。
 これは、他人の気持ちになったからこそ得ることが出来た想いである。 」


あまり、実態の見えないインターネット上だから他人のフリをすることは良くないことと思うが、時と場合によっては他人のフリをすることで大事なことに気付かされることもあると思う。
そういった意味で、 「他人(ヒト)のフリして我がフリなおせ」 という言葉は名言ではないだろうか。
今回のことも、ただ思うだけでなく実際に行動を起こし、何かを変えていこう。

2008年4月14日月曜日

心と体と結果の歯車

心と体の歯車が合えば思うような結果が出る。
そう思っていたけど・・・



最近仕事だけでなく、全てのことに対して思うような結果が出ていない。

やる気はあるのだけれど、体が動かない。

体は動くのだけれど、気持ちが上の空になっている。

とここまでは結果が出ないのは当たり前。


しかし、最近はやる気もあり体も動くのだけれど結果が出ないということがある。
原因は分っている。
それは勝負事には必ずと言っていいほど関連してくるものである。
そう「タイミング」、「運」、「流れ」である。

勝負ではこれらが必ずと言っていいほど関連し、結果を左右する。
有無を言わさない実力差があればこれらのことなど全く関係ないのだが、力が均衡してくると最も顕著に結果に関与し、これらをモノに出来るかどうかで勝敗が分かれる。

今の自分はコレをものに出来ていない。
だからこそ負け組みになっているのだ。




負けて悔しいと思うことは誰でも出来る。

負けた理由を考えることも誰でも出来る。

もう無理だと投げ出すことも誰でも出来る。

しかし、その理由を克服し次の勝利に向けて努力することは一握りの人間にしかできない。

負け続けることは納得がいかない。

だからこそ一握りの人間に絶対になる。


未来の成功のために・・・

2008年4月12日土曜日

教えるものは成長する

本日は晴天なり!!
こんなポカポカ陽気の日は、「仕事なんて投げ出して日向ぼっこをしたい」と思うが、社会という縛りの中に生きている自分には無理と気付く。
だから、気持ちだけでもと思いYoriMichIに逃げ込む。


昨日は時間があったので、昼過ぎから某高等学校のサッカー部に指導に行ってきた。
ここには何回かお世話になっているので、生徒達も気持ちのいい挨拶で迎えてくれる。
毎日がこんなに気持ちのいい挨拶から始まれば一日なんてすぐ終わるだろうなと考えながら自分も出来る限りの挨拶で返す。

・・・が、社会人になって変なプライド??が出来たのか思い通りには返すことができなかった。
自分が高校生の時には気持ちのいい挨拶が出来ていたのに、今はこの様である。

歳をとるにつれて成長してきたつもりが、無駄なものを取り入れ大事なものを失ってきただけだったことに気付いた。

子供達に指導を行いにいった自分が子供達に忘れかけていた大切なことを教わった。
これは、指導という行動を通して昔自分達がいた場所、雰囲気に触れてみないと気付かないものである。
今回は挨拶に関してだけ触れたが、これ以外にも教えられることは沢山ある。


「早起きは三文の得」と言うけれど、これが昨日少し早起きして得た得なのかな (^^)

今後もこういったことを大切に本当の成長をしていきたい。



まずは気持ちのいい挨拶を心がけて

2008年4月11日金曜日

アクセス数を伸ばすブログの書き方

2日目に突入!!
こうやって新しいことを始めると今まで全く気にならなかった情報が耳に入ってくる。

昨日ふとテレビを見ていると、元ボクシング世界王者の竹原慎二がブログの書き方について熱く語っていた。
竹原慎二のブログは1日5000件を超えるアクセス数があるとのこと。
そのアクセス数を生み出すブログのコツは・・・   


                         ・・・飾らず、自分の言葉で書くこと、と継続すること。
        あと忘れてはいけないのが、一文一文の行間をものすご~~~~~く空けること(笑)


自分の言葉で書くことと継続することには共感をもてたのだが、最後の一つがどうもね(汗)

竹原慎二のブログは言葉数はとても少ない   が   スペースはかなりとっている。
そう、例えて言うなら原稿用紙2枚分をたった3行の言葉で終わらしたみたいな・・・・。
しかも、飾らず自分の言葉でブログを書くことが大切ということで、竹原自身広島弁で更新をしていた。


で、最後の締めは必ず 「じゃあの」 で終わる。
面白さを感じるがこれが続くのでうざくもある。

まぁ気になった方は一度アクセスしてみてはどうでしょうか??(最初は結構笑えると思いますよ)


では、今日は仕事が休みなのに「遠足当日にいつも以上に早起きしてしまう子供」のように早く目が覚めてしまったのでこれから外出してきます。      ではでは(^^)/~

2008年4月10日木曜日

初めてのよりみち

☆ 祝ブログ開通 (^^)v ☆

本日よりブログの更新を始めます。
最初は何を書き込んでいいのか分からず本当に困る・・・。
まぁ、今日はホームページを作成することができたし(誰でも出来る簡単なものだけど 汗)それでよしとするか。
今日は赤飯でも食って寝よっと(笑)